デザイナー兼アーティストのPatrizia Margheri

多才で才能に満ちあふれ、並外れた技術を誇るPatrizia Margheri。
彼女は今まで自身の作品やアートへの深い愛を通じて、伝統や美を伝えてきました。

彼女の人生と学問ついて

Patrizia Margheriは1943年8月24日、フィレンツェのサンロレンソで裕福な地主の家庭に生まれました。フィレンツェで熟練した芸術における学位を取得した後、1563年にCosimo l de’ Mediciによって設立されたAccademia di Belle Arti di Firenze(美術における専門学校)に入学し、絵画を学びました。
彼女は特にイタリアや世界各地のアール・ヌーヴォーを中心とした科目や時代毎のスタイルに興味を持ち、作品や勉強に熱心に取り組んでいました。勉強、作成にあたってこれが1番好きなスタイルでした。彼女は多くの絵画を写実的に彩色しながら複製することに情熱を捧げ、学校が休みの時は興味のある様々な分野について広範囲に渡って知識を深めていました。
その後、Maestro Arrigo Dreoni(1934〜1938年)について勉強し始めました。彼の絵はフィレンツェのノヴェッラ駅のパネルや公共の場、トスカーナの様々な自治体にある多数のフレスコ画で知られています。後に、Patriziaにとって彼は師匠の様な存在となりました。

Patriziaは永遠にMestro Dreoniの独特な芸術スタイル、特に時代を超えても未だ代表的な形式であるトスカーナの芸術や壁画、フレスコ画に影響を受けました。その瞬間から彼女は油絵を描くことに決めたのです。

アカデミーの教授の中には一目置かれたアーティストのOnofrio MartinelliやGastone Breddo、そして、Primo ContiやAntonio Bertiなどがいました。同じ年にPatriziaはGiovanni Michelucciの親友である有名な建築士のSirio Pastorini教授の助手となり、信頼を得ていました。彼は全盛期、最も重要なイタリアの建築士で都市デザイナーとしてもフィレンツェにあるサンタマリアノヴェッラ駅の建築において重要な役割を果たしました。

Patriziaは美術アカデミーを優等学位で卒業する前、かつて絵画や彫刻、建築物などの様々なプログラムに参加したこと地であるパリで勉強しました。
そして、”La Terre Libre des Artistes”(アーティストのための自由な土地)とも呼ばれるモンマルトル付近で国際的なアーティストとたくさんの関わりを持ちました。

教育免許を取得し教育省のコンペティションで優勝した後、スケッチや美術史の教授としてトスカーナ中の様々な高校で長年働きました。

彼女は献身的に指導にあたる一方、絵を描くことも止めませんでした。”En pleinair(オンプレネール)”という自然光の中で外で絵を描くスタイルを好んでいたので、自身のプライベートスタジオによくこもっていました。実際に長年にわたって、1人で静止画と裸体の表現に焦点を当ててきました。

70年代初期、彼女はフィレンツェやモンテカティーニ、ヴィアレッジョ、ラヴェンナ、そしてミラノなどたくさんのイタリアの都市やフランスのカンヌで作品を展示しました。
彼女の作品や独特なスタイルは今と変わらず多大な賛美を受け、コレクションとしてもとても魅力的でした。

ロッシ社との運命的なコラボレーション

80年代にPatriziaは自身の絵画に対し、新たなアプローチを取ることを決意し、今までの芸術スタイルを変えました。ルネサンス時代に注目された花の絵を基調とする写本に焦点を当て、美術史の学者として研究することに情熱を捧げました。
これが、更に教会や修道院を追求するきっかけとなりました。この芸術肌の血が壮大な色とりどりの装飾という表現を編み出し、古代輝かしかった原稿の再解釈に至ったのです。

この時、彼女は指導を辞め最初は外部コンサルタントとして、次にクリエイティブディレクターとしてロッシ社との独占コラボレーションを始めました。

彼女のコレクションにはフィレンツェスタイルに一貫して必要不可欠なゴールドが使用されている無数の作品があり、それは彼女のイラストにとって大きな存在です。花、果実、つる、天使もこのスタイルの欠かせない一部であり、それらが現代風に描かれています。

これらのほとんどのイラストがロッシ社によって出版されたものです。(芸術家による丁寧な指示を受けて)私たちもデコラティブペーパー、ライティングペーパー、そして様々な種類のソーシャルアイテムを作成しています。市場に流通しているこれらの製品は国内だけでなく世界的にすぐに成功を収めました。

製紙業界はPatriziaがルネサンスの写本を見事に再解釈したという芸術性の価値を認めました。そして、マスコミの多くの記事はPatriziaのスキルを取り上げました。

又、Patriziaはボルゴ・サン・ロレンツォ(イタリア、トスカーナ州フィレンツェ県にある1万8000人の基礎自治体)の別の芸術家や自身よりはるかに有名な同市民、画家、デコレーター、グラフィックアーティスト、更には陶芸家のGalilero Chiniの支持者でもありました。イタリアのリバティスタイルの最も重要な主人公の1人であるChiniは彼女に大きな影響を与え、彼女も同様にリバティスタイルの勉強や絵画を楽しみました。

後に、芸術家は絵画と陶芸の両方において中東の芸術に注目をシフトチェンジしました。
アラベスクはPatriziaの新しいインスピレーションの源となりました。アラベスクとは時に枝葉やつるを織り交ぜながら鳥や動物を型取り、スクローリングデザイン(渦巻いたデザイン)の中でリズミカルな線状のパターンで装飾された芸術フォームです。
アラベスクはイスラム文化の装飾伝統において欠かせないものでした。最初はエジプトやメソポタミアから、後に地中海の古典文化から生まれました。

彼女のユニークな芸術スタイル

Patriziaはアラビア又はアラベスク様式の多くの要素をフィレンツェ様式の作品に組み合わせました。この2つのスタイルには多くの共通点がありそれを生かした形で成功し、多くの新しい作品に繋がりました。
彼女は何年にもわたって100以上の様々な作品を作り、スタイルも豊富です。その内いくつかはまだ発表されていません。芸術家によって厳密にカタログ化され、保存されています。その保存先の1つがロッシ社のアーカイブとローマのSIAE(イタリアの著者と出版社による協会)です。

彼女のデザインの多様性はファッションの分野においても大きく関心を与え、魅力を呼び起こしました。いくつかの重要な国際的ファッションハウスはクリエイティブなデザインを生み出すために、彼女の作品から新しいインスピレーションを受けました。
それは古典的、最先端と両方の特徴におけます。

彼女とファッション”メゾン”のクリエイティブデザイナー達は色や布、アプリケーションを通した”遊び”を共に楽しんでいますが、常に彼らのライトモチーフ(テーマ)としてある、美しいデザインにはほとんど手を加えずに残すということを貫いています。

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